その背景には、新興国の農業が依然として近代化から取り残されているという事情がある。ASEANの“雄”とも呼ばれるインドネシアはまさにその典型例だ。中部ジャワ州の古都スラカルタを拠点にする「IoTanic」は、畑の状態を常時モニタリングすることで効率的な農業の実現を目指している。
IoTanicの夢見る光景は「農業の機械化」というよりも「畑のスマート化」だ。
地方都市の大学生が立ち上げたスタートアップ
ジャワ島には、16世紀から18世紀にかけて新マタラム王国という大規模な国家が存在した。この王国は最終的にスラカルタ系統とジョグジャカルタ系統に分裂したが、それぞれの王家は今も存在する。ジャワ島中部はジャワ文化圏に属し、同じジャワ島でも西部スンダ文化圏とは地形も気候区分も異なる。スラカルタやジョグジャカルタは、スンダ地方よりも平地に恵まれた肥沃な土地だ。インドネシアの中では農業に向いた地域ではあるが、農家の近代化は進んでいるとは言えない。日本とは違って年3回の稲作ができるものの、家族経営の零細農家は人手不足に悩まされている。若者はより大きな稼ぎを目指して首都ジャカルタやスラバヤへ出稼ぎに行ってしまうためだ。
第一次産業には高度な知識や技能を持つ人材がなかなか入ってこないという問題もあったが、スマート養殖システム「eFishery」の成功が大幅なイメージ改善につながっている。養殖漁業を含む農村部の一次産業は先細り産業ではなく、明るい未来と可能性に満ちた巨大開拓地だということが、卒業後の進路に悩む大学生の間で共有されるようになったのだ。
スラカルタにあるスブラス・マレット大学の学生が立ち上げたIoTanicは、インドネシアの農業に大革命を起こす可能性に満ちたスタートアップである。
土壌の状態をスマホアプリに表示
IoTanicが提供するのは、畑の状態を常時モニタリングするIoT機器と専用アプリである。天候や土壌の栄養状態だけでなく、害虫発生予測までスマホアプリに表示しようというものだ。特に土壌の中の成分やpH値を解析する技術は、結果として「化学肥料の適切な散布」という効果をもたらす。これがなければ、ウクライナでの戦争以来価格が高騰している化学肥料を余分に使ってしまうのだ。
IoTanic社が提供する機器は、通常の畑のみならずビニールハウス内の水耕栽培にも対応。その上で、現場の農家にIoT技術を活用したインダストリー4.0の概念を啓蒙する集会も開催している。
流通プラットフォームも計画
IoTanicはまだ本格始動したばかりのスタートアップで、現時点で国外の投資家から巨額の資金調達を引き出したというわけではない。が、そのコンセプトはインドネシアの一次産業従事者が心の底から望んでいるものと見事に合致する。畑そのものをスマート化し、今現在の状態をスマホアプリに表示する。さらにIoTanicが計画する流通プラットフォーム「TanicMarket」で、中間搾取を許さない公平な取引を成立させる。これにより生産者の収入は増え、作物の小売価格はむしろ安くなる。
インドネシアの農業の近代化を妨げている要因の一つが、中間業者の存在だ。1本の流通ルートに対して何人もの業者が介入し、その度にマージンを取るという構造が今でもある。それを変革するには、インダストリー4.0の概念を農業分野に適合させることが絶対条件だ。
出稼ぎに行かなくても済むように
IoTanicの本拠地がスラカルタという点も、見逃すわけにはいかない。内資、外資問わず企業がオフィスを構える都市と言えば、インドネシアではジャカルタ、スラバヤ、工業団地を抱えるバタム島及びビンタン島、観光分野ではバリ島南部が定番である。これらの地域は、国内出稼ぎ労働者の受け入れ地でもある。が、そのために農村部の労働人口が流出、産業が空洞化するという問題が発生している。
「畑のスマート化」により、ジャワ島中部の農村が首都圏やバタム島の工業団地に勝るとも劣らない一大産業集積地に変貌するのだ。
参照:IoTanic
(文・澤田 真一)