では、もしそんな痛みや不安を軽減できる可能性があるとすれば、どうでしょう?
福岡発のスタートアップである株式会社xCura(エクスキュラ)はVRを活用した「痛みや不安の軽減」に取り組んでいます。同社の技術で、私たちの治療体験はどう変わるのか。同社の代表取締役を務める新嶋祐一朗さんに話を聞きました。
哲学を研究する学生が、なぜ「VR×催眠療法」を?
――まず、xCuraが取り組んでいる事業について教えてください。
新嶋:弊社は「テクノロジーによる痛みや不安の軽減」を理念に据え、事業を展開しています。現在は、VRを活用して、治療中に生じる痛みや慢性疼痛(とうつう)、抗がん剤の副作用といった、既存の薬だけでは解決しきれない痛みや不安の軽減に取り組んでいるところです。
――「VRで痛みや不安の軽減する」取り組みを始めたのは、何かきっかけがあったのでしょうか?
新嶋:もともと大学では哲学を専攻していて、哲学的なアプローチから、緩和ケアの患者様が抱える痛みについて研究していました。その中で、大学で催眠療法に関する講義を受ける機会があったんです。
催眠療法士でもある教授自身が、学生へ催眠をかける実演をおこなう様子を見て「本当にこんなことができるんだ」と、衝撃を受けたのを今でも覚えています。
また、催眠の技法は、がん患者の痛みの軽減や、うつ病やトラウマの治療にも応用できると聞いて非常に感銘を受け、私自身も2014年から催眠療法士として活動を始めました。
――その後、どのようにVRとつながったんですか?
新嶋:本業とは別に、独学でプログラミングを学んでいたのですが、本格的にスクールで学ぶようになったのち、「VRが痛みの軽減に効果的である」という海外の論文を目にしたんです。
催眠療法を学んでいるときから、催眠とVRの相性の良さを漠然と感じてはいましたが、その論文を読んだことで、私が持っている催眠療法の知見とVRがつながったんです。「これは、自分のライフワークである“痛みや不安の軽減”に生かせる」と考え、2021年2月に地元福岡での起業へと至りました。
医療現場での活用事例とポテンシャル
――実際にどんな取り組みをしているのでしょうか?
新嶋:弊社が開発した「TherapeiaVR(セラピアVR)」を装着して、VRによる心理療法をおこなっています。具体的な技法を挙げると、筋肉の緊張と弛緩を意図的に繰り返してリラックスさせる漸進的筋弛緩法や、自己暗示によって段階的に全身の緊張を解いていく自律訓練法を応用しています。
セラピアVRを利用する患者様は、VRの映像とナレーションに合わせて、呼吸や筋肉の緊張と弛緩、眼球運動をおこない、リラックスすることができます。
――どのようなシーンで、セラピアVRを使用するのでしょうか?
新嶋:たとえば、歯科の治療中に使用します。歯科恐怖症である方は、口の中に治療器具を入れようとするだけでも、不安を感じて嘔吐反射を起こすことがあります。
そのような場合は鎮静剤を用いることが多いですが、セラピアVRを使用することで、鎮静剤がなくても不安を軽減でき、嘔吐反射は起こらなかった、という事例がありました。
また、医療脱毛、透析、ペインクリニック、老人ホームなどでも試験導入済みです。そのほか、海外を含めた病院や大学とも協力し、医療ネットワークの構築も進んでいます。
――治療中にVRを見るというのは斬新ですね。
新嶋:治療中にVRを見て痛みや不安を軽減する手法を「VRディストラクション」と呼びます。すでに欧米を中心に研究されていて、治療中の痛みや慢性疼痛に効果的だという論文報告もあります。
鎮静剤の使用は有効な方法である一方、使用することで呼吸抑制などのリスクがあり、治療後に意識を覚醒させるための待機時間も必要です。ある大学での研究によると、セラピアVRを使うと手術中の鎮静剤の量が通常の半分で済んだ、という報告もありました。
また、ほかの研究によると、吸入麻酔薬の一種である笑気ガス(亜酸化窒素)を用いる方法であれば、VRで置き換えができる可能性があります。
VRだからできる、より深い没入体験
――具体的なビジネスモデルについて教えてください。
新嶋:VRゴーグルと映像コンテンツを医療機関に提供して、xCuraは医療機関から収益を得ます。セラピアVRを利用する患者様は、1回当たりの利用料を医療機関に支払うモデルです。
ちなみに、「保険適用の治療中にVRを使用しても、混合診療(※)にはあたらない」というのが関係省庁の見解です。たとえて言うなら、治療中にテレビを見るのと同じ扱いとなっています。
※混合診療:保険診療と保険外診療を併用すること。
――患者側からすると、人の手で催眠療法を受けるのと、どんな違いがあるのでしょうか?
新嶋:催眠の技法とは、要は何かに集中させる技法です。催眠状態とは、催眠療法士の言葉に従って自分の頭の中でイメージを作り、そのイメージに没入している状態だと言えます。
催眠療法士が直接おこなう場合は、言葉でイメージを促しますが、たとえばVRの場合は「あなたは今、森の中にいます」とイメージさせるとき、360°の映像を目の前に映せるんです。つまり、頭でイメージすることが苦手な人でも、より深く没入しやすくなります。
また、催眠療法士が治療現場にいなくても、機器さえあれば手軽に利用できる点も大きなメリットです。
VRで「病院に行くのが楽しみ」になる?
――海外展開も視野に入れているそうですね。
新嶋:インドネシアでは、実際に現地でトライアルを実施しました。とくに発展途上国では、大きな病院でも鎮静剤を投与できる環境が整っていないケースや、日本だと全身麻酔を使用する手術でも、局所麻酔で手術をおこなうケースが多いんです。
VRであれば、専任の医師でなくても使用できますし、薬のように使用期限はありません。発展途上国におけるニーズは高いだろうと考えています。
――技術やサービス面では、どのような構想を抱いていますか?
新嶋:VRでアイトラッキングを用いて、瞳孔の動きを測定する研究を始める予定です。研究の成果を、痛みや不安の軽減に生かすのはもちろん、たとえば歯科の治療中に目の検査をしたり、認知症の予兆を読み取ったりなど、検査や健康アドバイスへの応用も検討しています。
――xCuraは「治療をエンターテイメントに変える」とも掲げていますよね?
新嶋:現在、セラピアVRで提供しているサービスは、VRと心理療法の組み合わせだと言えます。将来的には、ただ心理療法を受けるだけではなく、見ていて楽しくなる映像を使用することで、治療自体を楽しく感じられるようにするのが一つの目標です。
たとえば、お子さんに動物の映像を見せて、心理療法を受けながらも楽しい世界にいるような、今までにない治療体験の実現を目指しています。
――「楽しい治療体験」が実現できれば、治療を怖がる人たちの行動変容につながりそうですね。
新嶋:今まで治療中の時間は、何もせず、ただ痛みに耐えるだけの時間でした。その時間を有効活用したり、楽しい時間へと変えたりできるように、今後も新しい技術やサービスを生み出していきます。
(取材/文・和田 翔)