転職市場のキーワード「越境」
転職市場では、「越境」がひとつのキーワードになっています。異業種・異職種の人材を組織の中に溶け込ませることで、多様性やイノベーション力が高まるとされています。同時に、終身雇用の時代が終わり、人材の流動性は以前に増して高まっており、越境して活躍する人材は益々増えると考えられます。
そんな中、組織が求める人材像は変わりつつあります。組織に必要とされるのは組織に依存しない自律型の人材です。つまり、組織に依存する人材ほど組織からは必要とされない、という矛盾が起こっているのです。
また、複業やプロボノといった新しい働き方が、「異業種・異職種」への越境の足がかりになっています。それだけでなく、テレワークの定着は、「都会から地方へ」という場所の越境にも繋がっています。
これだけ市場サイクルが短く、不確実な時代です。キャリアデザインの考え方も速いスピードで変化しています。
人生100年時代と言われ、マルチステージ※で生き方を考える必要も出て来ました。これからの時代を生き抜くには、異業種・異職種への転職「越境転職」のスキルは必要不可欠なものなのかもしれません。
※リンダ・グラットンが提唱する「マルチステージ」という生き方。 20歳前後で社会に出てからは会社勤め、フリーランス、学び直し、副業・兼業、起業、ボランティアなど、さまざまなステージを並行・移行しながら生涯現役であり続けるというモデルである。
47歳にして自身が越境人材だと気づく
現在、私は47歳です。振り返れば、私は転職において間違いなく「慎重派」の部類に入ります。大胆な転職などしたことはありません。転職経験はこれまで2回、極めて慎重です。過去の転職では、自分が最も活躍できそうな選択肢を選んできました。「やりたい(Will)」もさることながら、「できる(Can)」も重要です。
それだけでなく、行政職員として生きると決めた時は、「やらなければいけない(Must)」使命感も大きな要因でした。
「沖縄の課題を経済で解決したい」と前に進む中で、場所も職種も越え、成り行きで「沖縄で行政職員」になっていた、というのが実際のところです。そのため、自身が越境人材ということに気づいたのは、つい最近のことでした。
越境は大胆であってはいけない
越境と聞くと、「新しい世界で挑戦」というイメージがあります。「やりたいこと(Will)」のイメージが先行します。しかし、やりたいだけではうまくいきません。「やれること(Can)」や「やらなければいけないこと(Must)」を考える必要があります。若いうちはともかく、大人になったら「やりたいこと(Will)」だけで突き進む「大胆すぎる越境転職」はせず、計算された越境転職を実行してほしいと思っています。本人にとっても、受け入れ先にとっても、それが最良でしょう。
一見大胆に見えても、決して「大胆すぎる」訳ではなく、実は計算された失敗確率の低い越境転職が増えてほしいと思っています。
それでは、大胆すぎる越境転職と計算された越境転職の違いは何か?私の考えでは、「手順通りにチャレンジを積み重ねる」のか、「遠くにジャンプをするのか」の違いです。
境界線の越え方とも言えます。もう少し嚙み砕くと、自分自身の幅を広げるチャレンジを続ける中で、ステップで境界線を越えるのが、良い越境のイメージです。一方で、一気に境界線の向こうに辿り着こうと、大ジャンプを試みるのが、悪い「大胆すぎる越境」です。
今回の寄稿では、HRの専門家のような話ではなく、私自身の越境転職を振り返ろうと思います。慎重過ぎて越境に踏み出せない人や、大胆過ぎて「やりたいこと(Will)」が先行してしまう人のお役に立てればと思います。
越境転職のセオリーを考える
それでは、まず「手順通りにチャレンジを積み重ねる」の「手順通り」とは何か?という内容から解説します。転職には、新しいチャレンジの要素が伴うものです。つまり、リスクが伴います。
私のような慎重派は、そのリスクをできるだけ減らしたいと考えます。「成功確率を上げるためには何をしたら良いのか?」と考えていたその時、新規営業のセオリーが転職のセオリーに応用できると気づきました。新卒で入った会社で教わったことです。
新規の売上を作ろうと思ったら、方法は2つだと教わりました。
A:新しい市場に、今の商材を売る
B:今の市場に、新しい商材を売る
この2つこそが、新規の売上を作る方法だといいます。
C:新しい市場に、新しい商材を売る
これは駄目。Cがどんなに魅力的に見えても、そこには自社の優位性がないからだと。
この、 「(上か横の)隣のマスしか進んではいけないルール」は、振り返ると、私のキャリア形成においても、しっかり考えが染み付いていることが分かります。
ここで、私のプロフィールを紹介したいと思います。
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新卒で入ったプロモーション会社で上場を経験。2014年、沖縄に移住、創業50年の印刷会社へ。経営改善に取り組み、新事業として街づくり会社を立ち上げ。地域課題をビジネスで解決するべく地域産業のプラットフォーム施設を運営。創業支援認定機関としての活動や、内閣府の地域プロデューサー育成プログラムを受託するなど、主に産業分野の地域活性化事業を推進。
2020年7月、内閣府沖縄総合事務局に入局。これまでの、ベンチャー⇒上場企業⇒町工場⇒ソーシャルビジネスの経験を活かし、プロデューサー型公務員として、沖縄振興に取り組む。
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慎重派の私の、「隣のマスしか進んではいけないルール」を解説します。
隣のマス① 東京のプロモーション会社から、沖縄の印刷会社へ。
【新市場/既存商材】新市場…プロモーションを武器に沖縄の市場に入ります。
隣のマス② 沖縄の印刷会社で、プロモーション企画から経営企画へ。
【既存市場/新商材】新商材…中小企業経営という新たな武器を身につけます。
隣のマス③ 印刷会社の新事業で、街づくり会社を立ち上げ。
【既存市場/新商材】新商材…会社の立ち上げ経験と、地域振興を学びます。
隣のマス④ 街づくり会社から、沖縄の行政機関へ。
【新市場/既存商材】新市場…立場を変えて地域振興を行うことに。
既存の「Can(やれること)」領域の得意を活かし、「New(新しいこと)」領域で価値を出す。これまでのキャリアは、それの積み重ねと言えます。
Will・Can・Must
「やりたいこと(Will)」は、自己成長において非常に重要なエネルギーです。しかし、“やりたい”という気持ちだけでは、周りから任されることも、周りを動かすこともできません。まずはやれることを増やさなければいけません。私の場合、最初は中小企業経営をやりたいとは思っていなかったのですが、その経験が後のキャリア形成に大きな影響を与えました。目の前にあった「やらなければいけないこと(Must)」が「やれること(Can)」を増やしてくれたと思っています。
言うまでもなく印刷業界は、IT業界に押され右肩下がりの産業です。当時、業界をあげて、生き残り策(社会の新しい役割)を検討している状態でした。策はあれど、いざそれを実践するのは簡単ではありません。
なぜなら、印刷業界は多額の設備投資を行っており、さらに工員も抱えているからです。そのため、新しいチャレンジを開花させながら、既存事業を緩やかにクロージングし、BS(貸借対照表)を健全な状態にして業態転換を図っていかなければいけません。
そんな苦しいこと、「やらなければいけないこと(Must)」以外、何ものでもありません。綱渡りのような中小企業経営の経験は、右肩上がりのベンチャー企業の経験とは違う「やれること(Can)」を、私に与えてくれました。自分自身の幅を広げるチャレンジを続けていた訳です。
隣のマスに進みながら、多様性を身につけよ
それでは、どのようにチャレンジを続けるのか。いちばん良いのが、今いる組織の「やらなければいけないこと(Must)」を通じて、自身の「やれること(Can)」を増やし、それが自身の「やりたいこと(Will)」に繋がっている実感があることです。このような状態なら、転職など考える必要はありませんね。
しかし、そのような実感がなくなった時に、転職というカードを使って、隣のマスに進めるかどうかです。
忘れてはいけないのは、どんなに魅力的に見えても、斜めのマスに一気にジャンプしてはいけないこと。そこはまだ、自身の「やれること(Can)」が足りていない領域です。
だからこそ、今いる組織の中でも、常に隣のマスに進むことを心掛けておくことが大切です。その時は無駄に思える隣のマスに進む経験(実績)ですが、隣に隣に進んでいると、いざ転職の時にその経験(実績)は大いに活かされるのです。
環境か?自分自身か?
ここで皆さんに言われそうなのが、「今の仕事を極める前に、隣のマスに進む辞令が出る」
「異動先のマスが斜めの位置にある」
そんな悩みです。
つまり、進むマスが自分の意志、つまり「やりたいこと(Will)」ではないことから来る、異動のミスマッチです。全体最適の中で生じる歪みと言えます。しかも、自分が適材だと思えない(Can Not)ため、ただただ、やらなければいけない仕事(Must)になってしまいます。苦しいですね。
確かに、環境は与えられるもので、自分の意志が及ばないことがあります。しかし、うまくいかないことを環境のせいにしてしまう他責の人材は、組織からは必要とされません。
組織に必要とされるのは、環境のせいにせず、どんな環境でも「自分自身に何ができるか」と自律的に行動できる人材です。
これは冒頭でも書いた「組織に必要とされるのは組織に依存しない自律型の人材」「組織に依存する人材ほど組織からは必要とされない」という内容と大きく関わる部分です。
私自身も、20代半ばの頃はどの職種でもうまくいかず、営業職も、クリエイティブ職もダメでした。その頃、コピーライターだった上司に言われたのが、「環境が変わればうまくいくと思うのは幻想だ」という言葉でした。
非常に厳しい人で、ドロップアウトしそうな私に「環境が変わっても、お前が変わらなければ何も変わらないぞ」ということを伝えたかったのだと思います。
それから私は、少しずつですが、環境のせいにすることを止めました。代わりに、自分の行動と向き合うようになりました。
詳細は書けませんが、転職先の中小企業では想定外のことが次々と起こりました。ただ、それを機会だと捉えて受入れるか、この転職は失敗だったと捉えるか。それは本人次第だと思います。
私の場合、その経験を活かして、内閣府に越境転職しました。そして今は、公務では沖縄振興の産業政策に取組み、プロボノでは自分自身の幅を広げる官民連携のチャレンジを始めています。
振り返ってみれば、沖縄の印刷会社に入ったことは、単なる「機会」にすぎないと思えてしまいます。
どんな状況下でも環境のせいにせず、どんな自分で在りたいかで行動すること。それができれば、自然と環境に適合できるものです。
<著者プロフィール>
鈴木圭三
一般社団法人官民共創未来コンソーシアム
新卒で入ったプロモーション会社で上場を経験。2014年、沖縄に移住、創業50年の印刷会社へ。経営改善に取り組み、新事業として街づくり会社を立ち上げ。地域課題をビジネスで解決するべく地域産業のプラットフォーム施設を運営し、豊見城市の創業支援認定機関としての活動や、内閣府の地域プロデューサー育成プログラムを受託するなど、主に産業分野の地域活性化事業を推進。
2020年7月、内閣府沖縄総合事務局に入局。これまでの、ベンチャー⇒上場企業⇒町工場⇒ソーシャルビジネスの経験を活かし、プロデューサー型公務員として、沖縄振興に取り組む。2023年1月、官民共創未来コンソーシアムに参加。公務員のキャリアデザインをテーマに、自らが2枚目の名刺を持ち、プロボノ活動を開始。
資格:JBIA 日本ビジネス・インキュベーション協会 認定インキュベーションマネージャー