「香り」は感情と切っても切れない関係にあります。そして、香りから生まれる感情をさらに高めてくれるのが「言葉」だそうです。
香りと言葉が結びつく新たな体験を提供するシステム「KAORIUM(カオリウム)」を開発する、SCENTMATIC(セントマティック)株式会社の代表取締役・栗栖俊治さんに話を聞きました。
視覚・聴覚から、嗅覚へ。新時代のイノベーション
――栗栖さんはこれまでずっと香りに関するビジネスに取り組んできたんですか?栗栖:いえ、創業前はNTTドコモに10数年勤め、位置情報サービスやコンシェルジュサービスの企画を担当しました。
その後、シリコンバレーのベンチャーキャピタルに出向し、現地のAIスタートアップとの協業や出資にも携わりました。
――どんな経緯でセントマティックを創業することになったのでしょうか?
栗栖:帰国した後、これまで企画してきたサービスは、不便を便利にするもの、つまりマイナスをゼロに近づけるものだったのでは、と考えるようになったんです。
利便性の追求だけではなく、ゼロからプラスにする、つまりどうやって新しい価値を提供できるか、そんなことを模索するようになったのが一つのきっかけです。
――香りの分野に注目した背景を教えてください。
栗栖:世界的なフレグランスやアロマの市場規模はとても巨大で、今も年間5~6%の成長を続けています。
日本の市場は小規模で推移してきましたが、2000年代後半にアメリカから柔軟剤の「ダウニー」がやってきたことでゲームチェンジが起こりました。無印良品の大ヒット作であるアロマディフューザーの発売も2008年でした。
――市場が大きく変わるできごとがあったと。
栗栖:香りを前面に打ち出した商品が若者を中心に大ヒットしたことで、認知度が高まったんです。そうした市場の変化が、香りの分野に注目した理由の一つです。
――そのほかの理由とはなんでしょうか?
栗栖:ITやデジタルの技術は視覚や聴覚を中心に進化を続けてきました。ところが、4K動画と8K動画をスマホで見ても違いがわかりませんし、ハイレゾの例を考えてみても、人間が知覚できる限界に近づいている状況です。
結果として、視覚や聴覚の分野ではイノベーションが起こりにくくなっているんです。
そこで、新しい感覚に注力する動きが起こりはじめていて、今まで香りに関するサービスを扱っていなかった大企業が続々と参入しています。
――市場の変化が加速している状況なんですね。
栗栖:私が持っているIT分野の知見やユーザー体験のデザインスキルを融合させれば、活性化する市場で新しい価値が生み出せると考え、2019年にセントマティックを起業しました。
「香り」と「言葉」を結ぶKAORIUM
――御社が開発する「KAORIUM(カオリウム)」とは、どんなものなんでしょうか?
栗栖:香りと言葉が結びつくとこれまでにない体験が作れると考え、カオリウムを開発しました。シンプルにいうと、世の中に存在する香りを言葉で表現し、反対に言葉から香りを選び出すことができるシステムです。
たとえば、ある香りを持つミニボトルをカオリウムのパネルに置くと、その香りを表現した「華やか」や「甘い」といった言葉がパネル上に出現します。
パネルから言葉を一つ選ぶと、その言葉の印象を持つ香りのミニボトルのリストが表示される仕組みです。
――香りを表す言葉はどうやって収集しているのでしょうか?
栗栖:ある香りに対して感じた言葉をデータとして集めます。そのデータと、Web上や文学作品にある膨大な言語表現をAIに学習させています。
――香りを言葉で表現することに、どんな良さがあるのでしょうか?
栗栖:香りの感じ方は人それぞれ異なります。また、香りが脳に入ってきたときに、過去その香りに抱いた感覚や文化的バックグラウンドなども影響して感じ方が変わります。
つまり、香りとはコグニティブダイバーシティ(認知的多様性)を与えるものだといえます。言葉で表現することは、自分ならではの感じ方をわかりやすくサポートする、言い換えると、自分だけの感性と香りをひもづけるサポートをしていると考えています。
――私たちの体は、ただ香りだけに反応しているわけではないんですね。
栗栖:私たちはマンガを読んだり、歌を聞いたりすると、感情の揺れ動きを感じます。絵とセリフ、音楽と歌詞といったように、感覚と言葉が結びつくから感情の動きがより強くなるんです。
つまり、言葉とは五感がもたらす体験や快感を増幅する力があるものだと考えています。
香りがわかると、自分がわかる
――カオリウムは実際にどんなシーンで活用しているのでしょうか?
栗栖:昨年、若者に人気のフレグランス店とコラボレーションをおこないました。店舗に設置したカオリウムが示す言葉とともに、20種類のフレグランスから好きな香りを選ぶイベントを1カ月間実施しました。
香りと言葉を行き来する体験を通じて、最終的に3つの好きな香りを選ぶ仕組みで、自分の香りの好きな軸となる言葉もわかるようにしました。
――利用者の反応はいかがでしたか?
栗栖:とても好評で、実際の商品の購入につながったコンバージョンレートはイベント実施前の3倍近くまで向上しました。
「この香りって、こんな言葉で表現できるんだ」と理解が進んだことで商品選びがしやすくなったのだと考えています。
――店側の商談も変わりそうですね。
栗栖:フレグランスショップのスタッフに話を聞くと、今までは「お客さまがどんな香りを好むかわからないから、売れ筋を勧める」なんてことも多かったそうです。
今回のイベントを通じて、「お客さまの嗜好が見えることで、コミュニケーションがしやすくなった」という声をいただきました。
――そのほか、アスリートとの取り組みもおこなっていると聞きました。
栗栖:東京オリンピックのフェンシング(エペ団体)で金メダルを獲得した見延和靖選手や、さまざまなアスリートとのコラボレーションをしています。
見延選手は、試合時にコンディションをピークにするために、試合以外の時間でいかにリラックスできるかを重視しています。そのために最もリラックスできる香りを作る、というのがプロジェクトの趣旨でした。
――どうやってリラックスできる香りを作ったのでしょうか?
栗栖:まず、見延選手がどういった香りが好きか、好きな香りからどんな言葉を連想するのか、さまざまなデータを取りました。
それから、見延選手が「リラックス」という感覚にどういう言葉を求めているのか、コミュニケーションをとりながら探っていき、言葉をひもづけて選んだ香りをブレンドしてお渡ししました。
――「好き」と「リラックス」を言葉で結びつけたんですね。
栗栖:私たちがおこなったことは「目的に合った香りを作ること」です。ほかの協業パートナーにもこのプロジェクトで得たノウハウを展開していきたいと考えています。
データ活用で体験価値向上、海外進出にも挑む
――今後、力を入れたい取り組みを教えてください。栗栖:私たちがおこなっている香りと言葉の互換性は、ワインやチョコレート、お茶など、香りや風味のあるものなら何にでも応用可能です。
カオリウムを使うと、使った人の好きな香り、その好きな香りにどんな言葉を感じているのか、膨大なデータが集まってきます。
そのデータを活用して協業パートナーと新商品開発やマーケティングをおこない、香りや風味をより楽しめる仕掛けをつくり、協業パートナーの事業価値を高める取り組みがまず一つです。
――もう一つはなんでしょうか?
栗栖:いま取り組みたいと考えているのは海外事業です。今年6月にアメリカで開催された世界的なフレグランスのカンファレンスに、英語版のカオリウムを出展しました。
体験者のアンケートをみると、満足度が非常に高かったんです。海外の方にもカオリウムによる体験を楽しんでいただけると確認できたので、今後は海外のフレグランス市場に挑戦したいと考えています。
(文・和田翔)